库页岛千岛群岛交换条约 发表时间:2013年09月29日 | 发表人:

     

    库页岛千岛群岛交换条约 
    资料来源:http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/karafutotisimajyouyaku.htm
    樺太・千島交換条約
     
     
     
    1875年5月7日「セント・ピータースブルグ」ニ於テ署名
    1875年8月22日東京ニ於テ批准書交換
     
    大日本国皇帝陛下ト
     全露西亜国皇帝陛下ハ今般樺太島(即薩哈嗹島)是迄両国雑領ノ地タルニ由リテ屡次其ノ間ニ起レル紛議ノ根ヲ断チ現下両国間ニ存スル交誼ヲ堅牢ナラシメンカ為メ
     大日本国皇帝陛下ハ樺太島(即薩哈嗹島)上ニ存スル領地ノ権理
     全露西亜国皇帝陛下ハ「クリル」群島上ニ存スル領地ノ権利ヲ互ニ相交換スルノ約ヲ結ント欲シ
     大日本国皇帝陛下ハ海軍中将兼在露京特命全権公使従四位榎本武揚ニ其全権ヲ任シ
     全露西亜国皇帝陛下ハ太政大臣金剛石装飾露帝照像金剛石装飾露国「シント、アンドレアス」 褒牌「シント、ウラジミル」一等褒牌「アレキサンドル、ネフスキー」褒牌白鷲褒牌「シント、アンナ」一等褒牌及「シント、スタニスラス」一等褒牌仏蘭西国 「レジウン、ド、オノール」大十字褒牌西班牙国金膜大十字褒牌澳太利国「シント、エチーネ」大十字褒牌金剛石装飾露生国黒鷲褒牌及其他諸国ノ諸褒牌ヲ帯ル 公爵「アレキサンドル・ゴルチャコフ」ニ其全権ヲ任ゼリ
     右各全権ノ者左ノ条款ヲ協議シテ相決定ス
     
    第1款
     大日本国皇帝陛下ハ其ノ後胤ニ至ル迄現今樺太島(即薩哈嗹島)ノ一部ヲ所領スルノ権理及君主ニ属スル一切ノ権理ヲ全露西亜国皇帝陛下ニ譲リ而今而後樺太全島ハ悉ク露西亜帝国ニ属シ「ラペルーズ」海峡ヲ以テ両国ノ境界トス
     
    第2款
     全露西亜国皇帝陛下ハ第一款ニ記セル樺太島(即薩哈嗹島)ノ権理ヲ受シ代トシテ其後胤ニ至 ル迄現今所領「クリル」群島即チ第一「シュムシュ」島第二「アライド」島第三「パラムシル」島第四「マカンルシ」島第五「ヲネコタン」島第六「ハリムコタ ン」島第七「ヱカルマ」島第八「シャスコタン」島第九「ムシル」島第十「ライコケ」島第十一「マツア」島第十二「ラスツア」島第十三「スレドネワ」及「ウ シシル」島第十四「ケトイ」島第十五「シムシル」島第十六「ブロトン」島第十七「チェルポイ」並ニ「ブラット、チェルポヱフ」島第十八「ウルップ」島共計 十八島ノ権理及び君主ニ属スル一切ノ権理ヲ大日本国皇帝陛下ニ譲り而今而後「クリル」全島ハ日本帝国ニ属シ柬察加地方「ラパッカ」岬ト「シュムシュ」島ノ 間ナル海峡ヲ以テ両国ノ境界トス
     
     前条所載各地並ニ其地産ハ此条約批准為取換ノ日ヨリシテ直ニ全ク新領主ニ属スル者トス但其各地受取渡ノ式ハ批准後双方ヨリ官員一名又ハ数名ヲ撰テ受取掛トシ実地立合ノ上執行フヘシ
     
    前条所書交換ノ地ニハ其地ニアル公同ノ土地、人ノ下手セサル地所、一切公共ノ造築、塁城、屯所及ヒ人民ノ私有ニ属セサル此種ノ建物等ヲ所領スルノ権理モ兼在ス
    現下各政府ニ属スル一切ノ建物及ビ動産ハ第3款ニ載スル双方ノ受取掛取調ノ上其代価ヲ按査シ其金額ハ其地ヲ新ニ領スル政府ヨリ出ス者ナリ
     
     交換セシ各地ニ住ム各民(日本人及ビ魯人)ハ各政府ニ於テ左ノ条件ヲ保証ス、各民並共ニ其 本国籍ヲ保有スルヲ得ルコト、基本国ニ帰ラント欲スル者ハ常ニ其意ニ放チテ帰ルヲ得ルコト、或ハ其交換ノ地ニ留ルヲ願ウ者ハ其生計ヲ充分ニ営ムヲ得ルノ権 理及ビ所有物ノ権理及随意信教ノ権理ヲ悉ク保全スルヲ得ル全ク其新領主ノ属民(日本人及魯人)ト差異ナク保護ヲ受クル事雖然其各民ハ並共ニ其保護ヲ受ル政 府ノ支配下(ジユリスデクシヨン)ニ属スル事
     
     樺太島(即薩哈嗹島)ヲ譲ラレシ利益ニ酬ユル為メ全魯西亜国皇帝陛下ハ次ノ条件ヲ准許ス
     日本船ノ「コルサコフ」港即「クシュンコタン」ニ来ル者ノ為ニ此条約批准為交換ノ日ヨリ 十ヶ年間港税モ海関税モ免スル事、此年限満期ノ後ハ猶之ヲ延スモ又ハ税ヲ納メシムルモ全魯西亜国皇帝陛下ノ意ニ任ス全魯西亜国皇帝陛下ハ日本政府ヨリ「コ ルサコフ」港ヘ其領事官又ハ領事兼任ノ吏員ヲ置クノ権理ヲ認可ス
     日本船及商人通商航海ノ為メ「ヲホツク」海諸港及柬察加ノ海港ニ来リ又ハ其海及沿岸ニ沿フテ漁業ヲ営ム等渾テ魯西亜最懇親ノ国民同様ナル権理及特典ヲ得ル事
     
     海軍中将榎本武揚全権委任状ハ未タ到達セスト雖モ田紳ヲ以テ其送致スル旨ヲ確定セラルルニ由リ其到ルヲ待タスシテ此条約面ニ記名シ其到ルヲ待テ各全権委任状ノ相示スノ式ヲ行ヒ別ニ其ノ事ヲ記シテ以テ左券トスヘシ
     
     此条約ハ大日本国皇帝陛下並ニ全魯西亜国皇帝陛下互ニ相許可シ而シテ批准スヘシ但各皇帝陛下ノ批准為取換ハ各全権記名ノ日ヨリ六ヶ月間ニ東京ニ於テ行フヘシ
    此条約ニ権力ヲ附スル為各全権各其姓名ヲ記シ並ニ其印ヲ[金今]スルモノナリ
     
    明治8年5月7日即1875年4月25日/5月7日 比特堡府ニ於テ
    榎本武揚 (印)
    ゴルチャコフ (印)
     
     
    付属公文書
     
    日本国皇帝陛下ノ政府ト魯西亜国皇帝陛下ノ政府ハ本日両帝国間ニ結ヒタル条約第四款ニ載タル件ヲ完成センタメ下名ノ者協議ノ上左ノ条款ヲ定ム
    第1款
    魯西亜帝国政府ハ本条約ノ旨ニ基キ日本政府附ノ建物及動産ヲ引受ヘキヲ以テ其代価ヲ日本政府ニ払フ事ヲ承諾シ日本政府ヨリ報知セラレシ金額即チ棟数壱百九拾四軒抱イカ 七万四千零六拾三円(日本「ドルラル」)及動産ノ代価壱万九千八百拾四円ヲ以テ其物価検査ノ基本トナス
    第2款
    1 本日取結ヒノ条約第三款ニ掲クル各地受取掛双方役人ハ各地ニ在ル建物及動産ノ両政府ニ帰スヘキモノヲ検査シテ其代価ヲ決定スヘシ
    2 右双方役人ヨリ各地並ニ静動二産受取渡済及其決定セシ代価ノ届書落手ノ魯西亜政府附ノ物品代価差引キ余剰金額ハ各地並ニ静動二産公然受取渡済ヨリ六ヶ月内ニ比特堡府ニ於テ日本公使又ハ日本国皇帝陛下ヨリ別段ニ其命ヲ奉シタル人ニ渡スヘシ
    第3款
    本日結約ノ第五款中ニ陳スル交換セル各地ニ住ム土人ノ義ニ付テハ東京ニ於テ日本政府魯西亜弁理公使ト尚之ニ附録ス可キ条款ヲ取極ム可シソノ為メ入用ナル全権ヲ魯公使ニ附スル者ナリ
    第4款
    前条ニ載タル議定セシ件ハ同日記名セシ本条約ノ列ニ加ヘタルモ同シ権力アルモノナリ
    右ヲ確定スル為メ下名ノ者此公文ヲ作リ以テ各其印ヲ調スル者ナリ
     
    明治8年5月7日即1875年(4月25日、5月7日)比特堡ニ於テ
    榎本武揚 (印)
    ゴルチャコフ(印)
     
     

     


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